2015-02-04 第189回国会 衆議院 予算委員会 第4号
そして、その二年後、一九四四年の十一月の十七日に、南シナ海で水雷艇に乗っていて撃沈をされて戦死しています。この十一月十七日、四四年ですから戦争が終わる前の年ですが、その一カ月前にはフィリピン沖海戦というのが行われていまして、もう完全にその地域の制海権は日本は失っていた。その一月ほど後に、細野光男というのはそこに、船に乗って、水雷艇に乗って戦争に行っているわけですね。 横須賀から行ったそうです。
そして、その二年後、一九四四年の十一月の十七日に、南シナ海で水雷艇に乗っていて撃沈をされて戦死しています。この十一月十七日、四四年ですから戦争が終わる前の年ですが、その一カ月前にはフィリピン沖海戦というのが行われていまして、もう完全にその地域の制海権は日本は失っていた。その一月ほど後に、細野光男というのはそこに、船に乗って、水雷艇に乗って戦争に行っているわけですね。 横須賀から行ったそうです。
あるいは、観艦式のために水雷艇に乗って海の上に出なきゃならないときに、海が荒れたのでそれが中止になったら大変喜んだというふうなことを、当時の侍従を務めた日野西子爵という人が宮内省の職員に対する講演の中で言っているわけですね。 こういうことを知りますと、明治天皇というのは本当に海というのが好きだった天皇か何かのように思えるのが大変白けて聞こえる。
海上兵力のみをみても、潜水艦夕潮、フリゲート艦朝霧、対水雷艇初島などが配置された。この種の発展は、日本が工業国では第二の軍事国になることを痛切に悟らせた。日本の防衛費は国民総生産の一%を堅持している。確かに国民総生産に占める割合は少ないが、軍事専門家たちは今年は四兆一千六百億円という驚異的な額になることに気づいている。この額はシンガポールの国民生産総額を上まわるのである。
トンキン湾でベトナムの水雷艇が米海軍艦船を攻撃したというのであります。ところが、後になって国防総省は、トップシークレットの秘密文書で、それは事実無根であり、仕掛けたわなである、日本で言えば柳条溝事件のようなことだということを文書で明らかにした。その文書が発覚して、ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズが連載をしました。国防総省はあわてて裁判所に記事の差しとめを請求しました。
先般、つい最近のニュースで、ベトナム戦争の北爆の一番のきっかけになったトンキン湾事件は、何かベトナムの水雷艇がアメリカの軍艦に攻撃をかけた、そこでアメリカはベトナムをやったんだ、こう言われてきた。あれが全くのでっち上げであって、ああいうことは全くなかったということが最近になって明らかになってきたわけですね。
一九二五年六月、カニ工船「のと丸」がソ連領域内の密漁でソ連国境警備隊に拿捕されたわけでありますが、このとき水雷艇「たちかぜ」が実力によって奪還しておるわけであります。また一九三〇年六月、水雷艇「あさかぜ」十四号の護衛で四隻の漁船がウスチ・カムチャック湾で湾の入り口を網で区切り強行操作を実施したことも事実であります。これに対してソ連の外務人民委員部は覚書で抗議を表明しておるわけであります。
すなわち、当時米軍はトンキン湾海上にあった米軍艦に対して北ベトナムの水雷艇数隻が暗雲がたれ込めていた夜陰に乗じて攻撃してきたというふうに言っております。しかし、当日は晴天であり、月が明るかったというのが実態である。要するにアメリカはそういうような御都合主義な声明をして、これは特に軍部ではないかと思いますが、そういう声明をするという少なくとも前歴がある。
これは総理も御年輩だからよく御存じだと思いますが、旧連合艦隊の友鶴という駆逐艦というか水雷艇がひっくり返った事件があります。これはどうしてひっくり返ったかといいますと、友鶴という六百トン足らずの艦体に何インチかの大砲を載せた、魚雷を載せた、あれもしろという当時の軍部の圧力に屈して、造艦界が折れて友鶴をつくり上げた。
その点は財政法律上いろいろ検討いたした点でございますが、それとまた別に、会計法は明治以来この四十四条に当る規定があるわけでございますが、金が余りまして、いわば不測の歳入のようなものをリザーヴいたしまして、将来の使途に充てるという点につきましては、明治の三十二年でありますが、日清戦争の償金が入りまして、この償金をもちまして三つの特別会計を作りまして、軍艦、水雷艇の補充基金、災害の準備基金、教育費という
緒方さんは吉田さんに話されたが、そうしたら吉田さんが、今の日本が水雷艇を作るなんと言ったら大へんなことになるだろう、社会党でも聞いたら大きな問題になるだろう、そんなことはできぬと言って大いに反対された。防衛庁の内部でも反対をされた。それなのに何で入るようになったかということをあなたは調べてみなければならぬ。そういうブローカーとかここに出ておる証人に会っておられる。
巡洋艦が一、フリゲートが十、砲艦が五、駆潜艇が一、水雷艇が四十五、上陸用舟艇四十二、ほか相当数、空軍は三十八万人、約二千五百機、これは五十二年度というふうなことになっております。
又旧竹敷の水雷艇隊の本部がございましたが、その辺に防衛庁の施設ができるという話もございますが、何らの手をつけてもなし、又一つの近代的なこれを防衛する上に必要な飛行場の計画もない。
○説明員(山口伝君) 私のほうのキャツチしております情報では、あの水域に向うは水雷艇程度のものが十隻程度は遊弋しているという情報を得ております。こちらのほうは、この間から申上げておりますように、巡視船の五隻と監視船の三隻もあの附近に、丁度済州島の東方三十浬前後の辺にずつと並んでいるというような恰好になつております。そういうふうな配置になつていることは事実でございます。
○中村(高)委員 今度日本で貸与を受けますところのこのフリーゲート艦なりあるいは上陸用の舟艇というものがアメリカではこれを軍艦として——駆逐艦もしくは水雷艇というような同種のものとして使つておつたものを日本が借りるのでありますけれども、それでもこれを船舶と言い得るのかどうか。
私ども学生時代からよく知つておりますが、その一帶は、潜水艇もしくは水雷艇——今水電艇というのはないそうでありますが、そうしたものの基地であつた。漁民さえ驚くような厖大なる漁港を、こんな所になぜつくるかというふうな疑問を持つ。
これはなかなかわれわれ日本民族にとつては笑いごとでは済ませないのでありまして、金沢八景からあの辺に漁港が計画されておりますが、あそこでは漁民自身が、こんな所にどうして漁港をこしらえるのだということを言つておりますが、あれは今まで潜水艦もしくは水雷艇の演習場あるいは碇泊場になつていたのでありまして、こういうことに漁港が利用されるということになれば、これはわが国の独立にとつて重大であり、かつ平和を脅かすものだと
そこでその地域はどういうふうな地域かと申しますとこれは戰時中に潜航艇あるいは水雷艇なんかが演習していた、大体その根拠地なのでありまして、そういう所に漁港ができるということは、これは国民に非常な疑惑を抱かせるものだと思うのですが、もし漁港法案というものがこういうことに利用されることになれば、これは重大でありまして、そういう立法に対してはわれわれは反対であります。